甲状腺腫瘍備忘録

甲状腺腫瘍発覚から手術までの備忘録です

術後3ヶ月

久しぶりの診察に行きました。
といっても、血液検査の確認だけで、診察は一瞬で終わるのですけど。笑

経過は順調です。
傷跡は少し膨らんでいるのですが、だいぶ目立たなくなり、一年もすれば本当にわからなくなるのではないかなという感じになってきました。
首に張り続けていたテープも、そろそろ貼らなくてもいいそうです。まあこれから冬は首が隠れる服が多いので、日に当たることもなさそうですしね。

前回診察時にはまだ下がりきっていなかったサイログロブリンが、平常値まで下がっていました。術前は1000近くあったものですが、今はもう40を切っています。炎症状態が収まったということでしょうか。
しかし、前回よりさらに甲状腺刺激ホルモンが上昇気味になっていました。これは、甲状腺機能が低下傾向、刺激ホルモンによって、甲状腺ホルモンがかろうじて正常値を保っているということです。まだ、ギリギリ正常の範囲内でありますが。
半分切除したので仕方のないことですが、すこし昆布やヨードを控えたほうがよさそうです。昆布は好きなのですが、仕方ないですね。



ところで、今回の通院で、ある方とすれ違いました。
(デリケートな話なのでフェイクを入れます)

その場所に来られる少し前に、私でもよく知っている、非常に予後の悪いがんの告知を受けられたようでした。
お茶を飲みながらの会話は穏やかな様子。
つい先ほど、おそらく余命の話までされたであろうことは、偶然聞こえる場所にいなければ伺い知ることはできなかったでしょう。
一緒にいた妹さんは、まるで世間話のように、終末期において患者自身が最低限しておくことについてお話されていました。
患者ご本人は諦観が先に立ってはいるものの、未来のことを考える余裕はなさそうでした。話からするに、その方には身体に不自由のあるご伴侶がおられるようです。その場にいなかったのは、自由に動くことが難しいか、告知を聞かせて動揺するのを避けるためだったかもしれません。妹さんは、おそらくもうそれほど長くは生きられないその方の亡き後、ご伴侶を看ることになるご家族の誰かに話しておかなければならないと諭し、患者さんは、そうだ、伝えておかないと、と少し上の空に返していました。

告知後すぐのことのようでしたので、患者本人の気持ちになると、そして自分が家族であった場合のことを考えると、少し性急な話にも思えます。まずは本人のメンタルのフォローがあってもいい、と思うのが人情という向きもありそうです。
しかしこの段階でご伴侶の話になるということは、それだけ進行が早く予断を許さないこと、意志が伝わる今のうちに頼まなければならないこと、そしてご伴侶との介護を含めた生活も「そのうち誰かがやる」状況ではないからだろうと思われました。

 

この言葉、私には、姉妹だからこそという印象を受けました。ご伴侶の方と、この妹さんに血の繋がりはありません。よほど親密な距離で生活しているのでなければ介護をする立場にもないことが多いでしょう。けれど、この患者さんにとっては、長年連れ添った伴侶です。先に行かなければならないという辛さも、無言の中に伝わってくるようでした。

他人の心の真実はわかりかねます。いろいろなものの見方が出来ますので、同じ出来事に出会っても、私と同じことを思うわけではないと思いますが、例えば大切な家族が危機を迎えた時に、本人のためになることを最大限にやってあげたいと思えるとするならば、親として、伴侶として、子として、兄弟として、立場は違ってもそれぞれに、できることや言える言葉があるのではないかと思ったのです。


翻って、私は兄やその家族のために何ができるだろう。
これから先、いつになるかはわからないけれど、いのちの現場が突如自分の前に訪れた時、私にしかできないこと、言えないことが出てくることもあるのでしょう。
つらいこと、悲しいことの多さから、感情に流されてしまいそうになる自分が想像できます。

ひとときの優しさや感情だけではやり過ごせない問題も人の生死には付きまとうもの。
せめてその役割を果たせる自分でいられるよう心の準備を、と密かに思った出来事でした。

 

そして、気づきをいただいた、きっともう会うことのないご家族が、残された日々をできるだけ長く、できるだけ穏やかに過ごせますようにと、陰ながら願います。